踊り場トーク③―踊り場という名前・組織となる危険性について―

2021年1月を始めに、月一回程度のペースでzoomでの話し合いを進めてきました。現メンバーで展示をすることとなり、活動の在り方について考えを巡らせるようになりました。

2021/11/21 参加者

広島市立大学日本画専攻出身

大橋智・山本志帆・浅埜水貴・亀川果野

亀川 この集まりが何を目指しているのか、場を作るみたいなのはわかるけど、では「どうやって?」っていう疑問がずっとある。

組織ではない「場を作る上での認識」みたいな、理想がどういう形なのかみたいなのは固めた方がいいのかなって。もし続けていくのであれば、「組織的な場になりかねないな」って思ってて、そういう問題点はあるなって私は思ってるんですよね。

それは特にスタートが市大の日本画が中心としての話なんで、先輩―後輩とか教員―学生みたいな、そもそもの土台が存在してしまってるから。こちらが意識してなくても、そういう形に陥りがち。

学生たちは、「上の先輩たちや教員が運営しているもの」みたいに捉えちゃう。

大橋 縦の関係から悪いふうに作用しちゃう。

亀川 結局、日本画のそういう良くないところがそのまま出てしまうと不本意。

ちょっと正解がない話ではあるんですけど。

大橋 僕が最初に思ったのは、市大日本画では卒業後の人生設計で、 大学の先輩後輩との関係性をうまく使えていない。上手く作用しなくて、縦の関係性が人生の役に立たないのはどうなのか。

まさに亀川さんがいったように、これを通じてそれがただより強化されるだけだったら、相当不本意。同窓会みたいな感じになっちゃっても。

亀川 私的にはこれは別にメンバーは固定ではなく、継続的にできるようなものであってほしいと思うんですけど、そのやり方がどうしても運営する人がいるっていう前提になる。

できるだけフラットに行きたいけど。今回は立ち上げなんでこれでいいと思うんですけど。

大橋 今回のこのメンバーで展示をしてみるということでスケジュールが決まったので、きちんとした形の資料として残して、それが後からでも閲覧できるっていう状態にするのが大事かもね。今後別の人が展示をやったりするのもいいかも。外から人を呼ぶことをきっかけに、その時集まった人の中から何か新しいものができたら理想的。

亀川 私達自身の制作においても次に繋がるのが一番大事かもしれない。 

山本 うーん、どういう形がいいんだろう。この4人でやることで、グループの強化になることの指摘はなるほどと思って。

浅埜 私も具体的な事は言えないですけど、何かサークルみたいに、かつ、階段の踊り場みたいな場所になったらいいなって思ってるんですよ。以前ミーティングでチーム名を決めようって躍起になった回があったんですけど、結局決まらないまま流れた。

なんかこう、違う段差やルートにいる人が上にも上がり下にも下がって、そしてたまたま踊り場で出会った人たちが話して考えて、それぞれ違う場所に戻っていくみたいなイメージなんだけどな。

フラットっていうのがまた難しいんですね。一時的にしかならないと思う。そういう上下関係が何か変に出てくるのなら辞めた方がいいけど。続けていくのは難しいですよね。

亀川 なんかどうしても集まる機会を作りたいってなると、物理的に場がないと、そういうのってできないな。いつでも誰でも来ていい、それこそサークルの部室みたいな。

浅埜 身内しか来ない居酒屋みたいになっちゃったらだめなんだよなぁ。これは考えつつ進めないと。

山本 うん。内々で籠ってるんじゃなくて、私たちがその踊り場的な感じのことをやろうとしてるっていうのを知ってもらいたいので、それに必要であればパンフレットや活動のアーカイブを作るべきかなあ。

浅埜 活動の中で内にこもらずゲストを呼んだりしてイベント等出来たら良いですよね。漠然としてるけど「日本画の可能性を広島から考える」みたいな内容を思ってるんですけど。地域性と日本画。何だろう、民族っぽい勉強がしたいを私は思ってる。

亀川 確かに。  その話をするんだったらあんまり内々な日本画の人ではない方がいい感じがする。

山本 なんかすごく日本画内で凝り固まってるっていうのが最初のスタート。外からも声がかからない、ふさぎこんでいる場に私もいて。本当は外に出て世界を広げていきたいけど行きづらさがあって。 

日本画が外にもっと広がっていける可能性のあるものじゃないか?っていうのを、外とやりとりをする。展示がそういうのきっかけになればいいな。場を作るっていう言葉で言ったんですけど。だからゲストをもしお願いするとしても、外とどう繋がるのか。

現代アートだったら、そういうプロセスで作品を作っていくと思うんですけど。日本画は作品の作り方が違うような気がしてて。自分としては可能性を広げていきたいなっていう思いがあるので、そのあたりを話したい。

大橋 僕も同じようなことかもしれないけど、アートのシーンが無いように思ってる。「日本のアートと言えば、こういう人たち・こういう場所」って言えるものがない。結構大きい問題かな。

浅埜さんが以前話した時言ったように、中央集権的な文化の構造になっちゃってる。逆に言えば、産業・経済なんかは地方の方が目に留まりやすい。

そういう地方から、作る側だけの話でなく、芸術を受容する層も上手く作れていない問題も含めてシーンを考えていきたい。

その後、この活動の名前が「踊り場」と決定しました。