踊り場トーク②−2 ―インスタレーションと絵画の境目?―

2021/2/21 参加者

広島市立大学日本画専攻出身

大橋智・山本志帆・浅埜水貴・亀川果野

浅埜 水貴 波の風景 2021  578×640mm

浅埜   私が制作して悩んでいるのが、インスタレーションと絵画の展示の境目って何だろうって思ってて。

大橋 浅埜さんの作品の窓とかドアはもう、インスタレーションになっちゃうんじゃないの。

浅埜 インスタレーションって17世紀位に定着した概念って書いてあるものを読んだんですけど、日本画のルーツって実は、空間に作用するインスタレーションがスタートだったはずなのにって私は勝手に思ってる。敦煌の壁画や、天井画も空間に作用するものだったし。日本画っていう言葉が成立してからフレームの中にある絵画になっちゃって。ある意味そっちが異質なんじゃないか、と勝手に思っている。なので自分の作品をインスタレーションとひとくくりに言っていいのかなあと疑問を持って作ってるんですけど。

大橋 資本主義経済の中のその傘の下にある概念としての現代美術っていうのがあって、ヨーロッパやアメリカの側の価値観に対して日本は違うわけだから、 日本画の問い直しみたいなとこまで踏み込んじゃうかどうか。

パネル張りになってるっていうのは、その戦後の岩橋英遠らの流れの中で、パネル張りになってきちゃうわけで、そうすると亀川さんを除く我々3人は院展所属なんで、まさにその影響下の中の直系に入ってて。

そこから言って、元々宗教的な絵画はそもそもがインスタレーションなんじゃないか。だから、インスタレーションじゃない日本美術はあまり無かったのかな。

だから、現代芸術の価値観の中のインスタレーションという言葉にくくられちゃうと、何か違和感がある。

浅埜 これはすごく壮大なことになってしまうのだけれど関心を持ってること。あと日本画家ではなくpainterと名乗ることに私の中ですごく疑問や違和感があって。せっかく日本画っていうバックボーンがあるのに、この可能性から離れてしまうの?と思って。

大橋 海外のインスタレーションの作品とか、日本人で美術やってる人が見るとだいたいみんな言うのが、「完成度が低いのが多い」。要はコンセプトの方が主体だから、物体としての出来映えは、割と二の次ってなっているのが多くて。日本人の作品を見に行くと、物としてはすごく精密に作ったり色が綺麗だったりが多くて 。

外から見た日本画の概念っていうのがああいう形でもし見えてるとするならば、俺のやっている制作って、ああいうプロセスを全く踏まなくなっちゃってるんで、それを俎上にあげるっていうのが難しいかなっていう思いでいる。

浅埜 勉強不足なのですが、日本画についての議論は話していくと空中分解しちゃうっていうか。議論されて本もいっぱい出されたんですけど、答えのでないものとして一旦終わった話みたいになっちゃってる気がする。大学に勤めてると、ずっと同じ絵画のサイクルがあるような感じがしていて。やっぱり学生も「日本画ってなんだろう」っていうのにぶち当たってる。

「額装の日本画」っていう展示が、2017年に栃木県で開催されて、そういったものを改めて問うようなのもあったりして観に行ったりしたんですけど。

あと北田克己先生がやってる「日本画の位相」っていう展示でもギャラリートークを聞きに行ったり。その時先生が「日本画とは?」という問いに「『日本画』自体が考える装置」と言ってて。それを基軸に日本画専攻出身の人が何を考えてくか、っていう所に面白いことが起こることなんじゃないかなって私は思っている。この日本画についての議論が本当に終わったのかっていうのが、まだよくわかんないんですよ。

大橋 世代間的にも、いろいろ考え方が違う部分はあるのかな。亀川さんの世代は?亀川さんはなんで日本画なんですか?

亀川 私は実は院展の絵が好きで日本画に。最初はそうなんですけど、自分にはあの表現ができないっていうのと、あの表現を一生続けていける気がしないみたいなものがあって。まず院展から外れて、「日本画って何なのか」と、私は大学院に入ったあたりくらいですごい考えて。北澤憲昭さんの本とか読んで、改めて日本画の歴史から何かわかるんじゃないかなって思ったけど。  

結果、明治以降と以前の、西洋が入ってくる前と入ってきた後の日本の絵画っていうのは、別ジャンルになってるんじゃないかなって思って。あれが一直線に繋がってるとは思わない。日本画の始まりって岡倉天心やフェノロサとかが、「絵画とは何か」「美術とは何か」と問い直して、西洋に自分たちの文化を観てもらうために形を整え直したものが日本画っていうのが正直一旦の答えだと思ってる。

その前の時代を見るってなると、確かにルーツは絶対にそっから流れては来てるけど、「私たちは人間だけど、あなたの遠い祖先はサルだったのよ」って言われてるような感じがしてる。絶対に繋がってはいるけど、ちょっと別物というか…。

ただ、立ち戻って、空間に息づくアート作品、インスタレーション的な日本の美術の立ち位置みたいなものを、コンテクストとして、もう一度日本画に取り入れる試みをすると、説得力は増すのかなって思ったりはします。

私は日本画が、「変わりに変わって全然別のものになってる何か」だと思ってる。これに正しさや定義を求めるのは無謀だなって思ってる。日本画らしさがどこにあるのかを探してピックアップするくらいしかないって思ってます。

浅埜   日本画って言葉のややこしさが魅力っていうか、ねじれみたいなのが、日本画の面白さと思ってるんです。言い切りたいわけじゃなく。日本画という言葉の中に、パラレルワールドみたいな別の世界もあるよねみたいな試みをやりたい。問い直しじゃなくて。

大橋 俺なんか、日本画がやりたいと能動的に思ってやったことはないですよ。受験の時に高校出て1年間フリーターして、 やっぱり絵を勉強したいなと思ったんで、すいどーばたに通う同級生に相談したらパンフをくれて。それで専攻がわかれてるって言われて見たら、油絵はクセっぽくて。たまたまそのときに日本画をみたら、ストレートに絵だなっていう感じがあって日本画に入った。

ちゃんと絵を勉強するって考えたら、大学受験をするっていう方向性が日本の今の状況だと知った。たまたま広島しか受からなかったから入ったっていう感じ。

院展に入ったのも、当時は大学に院展の先生方しかいなくて。続けていこうと思ったら、院展行った方がいいんじゃないかって言われて。最初に出品してたんだけど、院展に寄せた絵を描いてるうちは全く入らなくて、関係ないような絵を出して入し選始めて今に至ってるんで。だから僕なんかは「日本画だ」っていうことに関して興味が希薄なんですよ。


山本 亀川さんは熊本出身なんですね。

大橋 熊本で美術高校出身?

亀川 はい。熊本第二高校っていうとこが公立なんですけど美術科がある高校で。

大橋 浅埜さんは美術高校じゃないっけ?

浅埜 はい、私も美術科のある高校です。愛知県の旭丘高校。

大橋 3人美術高校なんだ。山本さんは岐阜県の加納高校だしね。そのギャップもあるのかな。俺は、進路が決まったのが高校を卒業して1年後からだからね。高校生のときからやってますっていうのと、ちょっと違うような気もしていて。高校生のときから日本画っていうジャンルがあって、いろんな図録を見たりしてると、これが日本画なんだなって思いながら来るじゃないですか。僕はそれがわかんなくて。

亀川 いいのか悪いのかわかんないですね。

山本 大学を卒業して時間たってから日本画についてより考え始めたかな私は。ようやく客観的に見られるようになり始めたら、いろんな世界が広がってた。日本画って独特な世界だなと思いますね。

大橋 大学教育の中で日本画ってこういう風にやるんですよって教えてるものの中でも、後々判って訂正されていく科学的な誤りとかが結構あったりする。僕らの時代って例えば、膠を煮るなって言われて。今は言わない?

浅埜 そういう先生もいれば、煮ては駄目だっていうことを仰る先生もいます。

大橋 我々の代の時は、「煮たらもう使えなくなる」って言われてやってたんだけど、表具の先生に話を聞くと、「膠は煮て作るんですよ」って言うんですよ。どうやらどこかの段階で、教え方が間違ったっていうのがある程度わかって。

昭和30年代ぐらいに前田青邨とかいたあの時期、「誤って膠を煮たらくっつかなくなる」っていう、誤解がどっかにあって。そっから先、我々が学生だった頃ぐらいまで「膠は煮ない」が定説化した。だけど今は、外の業界から先生を入れたりするようになってから、「膠は煮詰めた方が接着力がキープできる」という説が正しいこととなった。「これが日本画なんだ」とすごく強固に教えられたものは一体何なんだろう、とその時すごく思ったりして。

間違ったままのものが伝統になってしまうっていうことは、結構可視化される。

額縁の問題もそうかもしれない。西洋画に負けない強い表現みたいな言い方をよくされてるけど、それ本当にそうなのか、ちょっとよくわかんないけど、それによってパネル張りの額装のものが日本画ですっていうのは根拠が脆弱。

業界が、よりドメスティックになっているような気もちょっとして。要は内向きな世界、日本画って括れる世界がどんどん小さくなっていく。「日本画の中で作家としてどうなのか」っていう感じ。細分化というより、すごく端的な言い方すると「保守的にならざるを得なくなってる」部分っていうのは、以前よりあるような気がして。「日本画だからこれでいいんですよ」と。

亀川 そういう保守的な方向の人たちがずっと支えてきたから、まだ日本画が形として残っているというか。だから私たちは日本画を名乗れている。「日本画といえば、こういう雰囲気の絵だよね」っていうようなアイコン的なイメージがあって。みんながそれに反発すると、日本画が分解するだろうなって思います。

山本 全部の話に本当に頷ける。皆さんが日本画に対して思ってること、保守的なところや、日本画の成り立ち、その延長線上に私が居るんだっていうのもようやく最近わかってきた。こういう話をしたかった。日本画に対する思いを話せる場みたいなのは欲しくて。学生のときも、学校出た後もそういう話ってあんまりできなかった。

オープンに話せる機会は個人的に欲しいなって思う。作品を持ち寄って、コンセプトを決めてグループ展をして、何かメッセージみたいなものを発せられれば。

浅埜   グループ展示をするとなって、「日本画」っていう言葉を大事にしてる作家もいれば、大橋さんのようにそういうスタンスから離したい人ももちろんいるだろうなって思って。企画書書くときに言葉選びが非常に難しい。日本画の多様性を考えて共有する視点を作りたいんですよね。

大橋 同じの出身だっていう括りだけど、このぐらい違いますよっていうコンセプトだったらいいんだけどね。

浅埜 自分の制作活動の将来ってどう転んでいくかもわかってなくていつも悩んでるんですけどね。

大橋 「ステートメントみんなで話し合って構成していきましょうよ」の会があってもいいんじゃないですか。

亀川 作品の話は自分でなんとなくできるけど、誰かからの意見ってなかなかもらえる機会ないから、お互いの作品についての話ができると、私はありがたいなって思います。

浅埜 もっといろいろ喋りたいことあるなあ。亀川さんが南丹市のアートレジデンスに参加した話も聞きたいし。キュレーションにも関わってる長谷川新さんって、日本画の額装の展示について美術手帖でレビューをしてて。話をききたいんだけど、またの機会に。