コラム トークイベント『広島から日本画を考える』を振り返って

『砂洲に立つ』(広島芸術センター/広島)
2022年5月1日~5月14日

展示最終日に、インディペンデントキュレーターの長谷川新さんをゲストとして迎え、『広島から日本画を考える』と題してトークイベントを開催。長谷川さんはキュレーターとしての仕事の一環として、様々な立場・職種の人と協同しながら話を聞く『相談所』をされている。

(長谷川)展覧会ってよくできた技術体系なんですが、展覧会運営だけがキュレーションではないんです。言い方を変えれば、「展覧会に呼ぶ/呼ばれる」だけがキュレーターとアーティストの関係ではない。「相談所」はそういう思考がベースにあります。

インディペンデントキュレーターと美術館の学芸員は違うことをやってる、と考えてもらった方がわかりやすいかもしれません。少なくとも、インディペンデントキュレーターは美術館システムの縮小再生産をやってるわけではない。原則として、調査・保存・修復すべきコレクションがある美術館システムとは違って、インディペンデントキュレーターは、これから生まれる表現や、現在進行形の今後どうなるかわからない状況に対して関わる。既存の制度ではうまくいかないところに力をかける。少しでもひとつでも何かが残るようにする。あるいは誰かに届くようにする。そういう仕事です。このままだと残らないかもしれないものが、何か変なことや奇跡が連鎖して残るといいなっていうことをやっている。「既存のシステムや成り行きに任せれば残らないかもしれないもの」を人為的に残そうとするという意味では、美術館システムとインディペンデントキュレーターは(違うことをやっていますが)全然対立していないとも言えます。

当日は日本画関係者だけではなく、様々なジャンルで活動している方からの発言があり、質問に答えながらお話を聞いてくださった。

(大橋)日本画を専攻していたとしてもアイデンティティは変化していく。学生の間はそんなには深刻にはならないと思うんですけれども、卒業してからの活動でも悩みは尽きず。たとえば、自分が何と名乗るのか?っていう問題が出てきちゃうんだろうなって。

(長谷川)美術家とかアーティストとか画家ではなくて『日本画家』って名乗るかどうかってことですか。肩書きには自分のやっていることを強く規定する作用があるんでしょうね。

(浅埜) 私は『日本画家』と名乗っています…ペインターって名乗っていいのかなと思う。

(山本)現代アートを扱っているギャラリーさんに作品を置かせてもらっているんですけど、日本画と現代アートの相性が良いとは思えなくて。定着していったギャラリーのイメージや客層を意識すると『日本画家』と堂々と名乗っていいものか悩む。大学を出て少しずつ市場があるということに気付いていった。「どう名乗ったらいいんだろう」「どういう立ち位置で続けよう」っていうのが定まらなくて、肩書きを場所に応じて使い分けていた。

(亀川) 私はまだ大学に所属しているからっていうのもあって「習ってます」的な意味で「日本画やってます」って普通に言ってます。

ずっと言い続けるという覚悟はないんですけど。他の専攻、特に現代アートと呼ばれる界隈のところで『日本画』って名乗ることの飛び道具感。ちょっと「おっ!?」てなっちゃうじゃないですか。そういうのはちょっとだけ感じているし。それが絵を見てもらえるきっかけになるんだったら、それはそれで良いところもあるんでしょうけど。ちょっと敏感にはなるけど、自分の立ち位置みたいなものに。

(大橋)「すごいマイナージャンルなんですね。」って言われたこともありますし。

その後「日本画のコミュニティとその特異性」について話が及んだ。

(浅埜) 日本画の「輪に入れない特異性」みたいなものに関して、今回質問が来ていて。

質問1

「日本画のコミュニティとその特異性について、人類学的な見地から長谷川さんにはどう映っているのかご意見を伺いたい。」

自分たちの中では勝手に「輪に入れない」って思っちゃってるところがあって。外からどう見えているのかなっていうのが、私達もお訊きしたいところで。

 (長谷川)本当はもっと日本画特有の歴史や苦悩に寄り添って話すべきなんでしょうが、あえてこういうふうに突き放すことから始めさせてください。作家と話していてよく感じるのですが、みんな「自分たちは特殊だ」と言っている節があります。日本画に限らず、写真、彫刻、演劇、パフォーマンス、メディアアート…それぞれのジャンルの独自性を自覚する人がみんな「自分のジャンルは特異で中心から外れている」という。おそらくそこでいう「中心」とか「輪」というのは、一部の絵画と一部のインスタレーションと一部の映像作品を指している。「国際展」や「大型の美術館」に適応可能な作品形態をとっていない、ということが「輪に入れない」ということになっている。あるいはマーケットや批評との接触の量が中心の位置や輪の形を規定している。それが自信の喪失や疎外感に繋がってるのだとしたら、別の中心、別の輪の形がすでにいくつもあることを、あるいはこれから作ることを考えてみたいんですよね。

日本画という制度の来歴を検証して行くことはとても大切なプロセスであり、必要な通り道だとは思います。にわかには信じがたいですが「授業の中で歴史の話があんまりない」というのであれば、そういった歴史の授業はあった方がいい。「伝統」と言われるものが、実はつい最近作られたものなんだということを(不変じゃないってことを)知っておいてほしい。日本画をやるなかで、日本画の制度の歪さを捉え返すことに集中する作家が出てくることもごく自然だと思います。ただ日本画の制度や歴史研究を中心に置くのではない人が、日本画の特殊性にやられて萎縮するというのは、ずっとプロローグだけで本編に行かない、みたいなことになってしまってるんじゃないかという気がします。本編楽しい〜ってなってほしい。

(浅埜)今回の展示のタイトルの『砂州に立つ』というのも、メンバーで話し合っていくなかで日本画っていうのを勉強していくと「地盤ゆるくない?」ってなって。

(イタイ)そんなことないですよっ! いや、市立大学で一番根強いの日本画だと思う!だって平山郁夫に縁があって、それに船田奇岑さんみたいな日本画家もいるんですよ。広島には日本画のすごい歴史があるんですよ!

(浅埜)広島の地元の作家さんが作ってきた歴史もある。私はそこに触れずに卒業しちゃうっていうのが現状でした。

(イタイ)なんでっ!くやしい!

(浅埜) 自分は課題をこなすのにいっぱいいっぱいでした。でももうちょっと改めて振り返って勉強したい。それで自分が何をやりたかったのか、もう一度考えられるような場所を作りたいなと思って今回展示をしたのがきっかけ。

広島芸術センターの裏手には河が流れていて、砂洲が出来ている

その他の市立大学日本画家の現役の学生さんからの質問では…

質問2

「現代日本画は膠を扱う、和紙・絹など画材や技法、支持体などで他の分野と区別して説明されることが多いですが、他の分野でも膠や和紙は使われます。日本画という看板であることに画材が重要なのであろうかと疑問に思っています。画材の境目が分野の境目として曖昧な中で、今あえてここ広島から日本画と名乗ることに意義のような、一つの考えのようなことがあればお訊きしたいです。

(長谷川)広島で日本画を名乗る意味、とかにはあまりうまく回答できないんですが、確かに画材へのこだわりが比較的強いっていうのは強みかもしれませんね。もっと言えば、画材の物理的特徴だけではなく、生産の現場に踏み込んでいるところとか。そこには、日本画の画材の産業形態が大きく変質している現状への危機感もあるんだと思います。

そういう同時代性でいえば、写真だとこの薬剤が入手しづらいとか、このフィルムがもうないとか、フロッピーディスクはあるのに再生装置が修理できないとかいろいろありますよね。それをなんとか残そうという動きは大事な仕事だと思いますし、作家同士でジャンルやメディウムを超えてそういう話をする機会があっても面白そうです[これは打ち上げのときに浅埜さんがその日一番楽しそうに教えてくださったのですが※「粉体工学」(!)による日本画の研究が女子美術大学にて始まっているようで、とても興味深かったです]。

2022年度第1回粉体工学会研究会 芸術と粉体工学に関するワークショップ | イベント・展覧会情報

左から清恵商店製造の膠(2009~10年頃製造終了)・三千本膠飛鳥・牛皮和膠(天野山文化遺産研究所)・鹿皮膠(膠文化研究会 古典的膠製造体験会@姫路2022に参加し、大﨑商店さまのご協力の元製造した膠)。
内田あぐり監修『膠を旅する』(2021)の発行・展覧会の開催以来、素材に関する議論はより盛んになっているように感じる。

長谷川さんが以前美術手帖でレビューを執筆した栃木県立美術館の企画展『額装の日本画』の話題と絡めて、他ジャンルへも話が膨らんだ。

(長谷川)あの展覧会は、志田さんという大変意欲的な学芸員の方が実施されたもので、多くのことを学びました。日本画と額装の関係性にそれまで注意を払ったことがほとんどなかったので。団体展の出品規定から額装が一般化した話なども興味深くて。たとえば「神宮紙」の来歴って大学で習うものなんでしょうか?

(浅埜) ほとんど習わないです。 詳しい人は知っているくらいで。

(長谷川) 東京行くことがあればぜひ明治神宮近くにある「聖徳記念絵画館」へ行ってほしいです。もうそろそろ100年経つミュージアムです。明治天皇・昭憲皇太后の「御聖徳」を後の時代まで伝えるために作られた施設なんですね。そこで展示が行われるときに「西洋画に負けない、大きな日本画を描ける和紙を作ろう」となり、土佐の中田鹿次という優れた紙漉きの職人の試行錯誤によってできた巨大な紙が神宮紙です。「当然ご存じの」みたいな感じで話しましたけど、『額装の日本画』展を観て調べたりするまでこうしたことも僕は知らなかったんです。そうか天皇と展覧会と紙(メディウム)と日本画(美学/制度)はダイレクトに繋がってるんだな、と思った。あるいは、植民地と日本画の話は、制度論や歴史学であると同時に、今この瞬間の話でもあるわけですよね。「日本」や「日本人」がどういう人たちを排除しながら作り上げられているのか、ということに繋がる。もしちゃんと制度論をやるんだというのであれば、今ここの自分へとはね返ってくる。それは単なる「私的内省」とかとは違う実践であるはずです。

だから、制度論の周りをぐるぐるしながら「起源が空白だ」とか「歪なプロセスだ」と閉じていくのではない肯定の仕方を模索できないかと思っているんです。紙や額縁などを、それそのものとして、難しい言い方ですが「存在論」として肯定することはできるんじゃないか。さらに言えば、「関係論」として制度の外へと出ていくこともできると思う。「日本画」と「社会」をつなげるというよりは、すでにつながっている、と考えるべきじゃないのかなあと。

もう1回話を戻したいんですけど、優れた彫刻刀の作り手が廃業したと最近ニュースになってました。制作をする条件がどんどん変わってきているんだと思います。生活をする条件が変わっているのと同じくらいに。それはとてもタフなことだと思うし、寂しさや心細さもあると思います。「日本画」と「自分」が重なることもあるかもしれない。だから「踊り場」に日本画をする人たちが集まって技術や歴史を学びあったり、生活や制作について相談しあったりできるようになるのはとても素敵だなと感じています。自分や他の人が何に魅了されて、何にスリルを感じて、何に親しみや違和感を感じて日本画をやっているのか、が存分に考えていける場になっていってほしいです。自分たちのやっていることに対応した場所と、言葉と、人がいる。それ自体は決して「内輪」ではないと思います。

日本画だけが抱えている問題・悩みだと思っていたものは他ジャンルにもありえることなのかもしれない。

垣根を越えて対話することで制作に関する発展や、各々の作家活動の立ち位置を考えるきっかけとなればと思います。踊り場が情報共有の場として機能していけるように、運営していきたいと思います。

2022年5月14日広島芸術センターにて開催したトークイベント「広島から日本画を考える」の内容をまとめたものです。

出品者:浅埜水貴 大橋智 亀川果野 山本志帆

ゲストスピーカー:長谷川新

その他、当日の参加者の発言・質問等掲載しています。

長谷川新
1988年生まれ。インディペンデントキュレーター。
主な企画に「無人島にて—「80年代」の彫刻/立体/インスタレーション」(2014年)、
「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」(2015年)、「クロニクル、クロニクル!」(2016-2017年)、
「不純物と免疫」(2017-2018年)、「STAYTUNE/D」(2019年)、「グランリバース」(2019年-)、「約束の凝集」(2020-2021年)など。
国立民族学博物館共同研究員。日本建築学会書評委員。PARADISE AIRゲストキュレーター。

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